「消耗品と一生もの」

「消耗品と一生もの」

特にソファにおいては、不思議と消耗品との意識のもと製造されるケースが少なくないように感じています。

 

単に観賞用の家具ではなく毎日多くの時間をその上で過ごすことになりますので、それだけに消耗部材と言われるものも比較的多くなることも事実です。

 

一般的には表皮材と言われる表面に張られている張地は典型的なものですし、毎日体重を預けることになる座面の中材やそのベース材においても典型的な消耗品と言えるでしょう。

 

使用頻度の観点からもそれも理解できるものの、多くの製品で見られる現実的な耐用年数においては率直なところ「それはないだろう」との気持ちです。

 

一般的には10年保証を謳うことが可能な製品はクオリティが高いと判断されているようですが、現実的にはそれらにおいても7~8年程度で本来の機能性の半分以上を損なうものが多いことを耳にします。

 

もちろん10年保証の対象は消耗部材以外に限定されますので、通常使用において例えば躯体部分が壊れてしまうようなことは稀だと思われます。

 

これもあくまでも通常使用において破損した場合に保証されるものであり、そのことは一般的に証明できるものではないこともあり現実的には泣き寝入りとなるケースも少なくないのでしょう。

 

ソファにおいては、その機能性からも飛び込むように腰掛けるケースも少なくないようにも感じられ、やはりその場合は躯体フレームに相応な衝撃が加わりますので決して望ましい使用方法ではありません。

 

それが原因で壊れてしまったことを自覚することもあるのでしょうが、一般的には最大荷重が記載されているものでもないため、あくまでも常識の範囲内での保証範囲になるものと思われます。

 

このように考えると何とも不安に感じる製品が多いように思われますが、実績として一生ものと言えるソファも存在しますので、先ずは本物に触れる機会を設けて感じることがお勧めです。

「考え方」

ソファには大きく分けるとすべてが生地で包まれたいわゆる張りぐるみタイプとボディ部分をあえて露出させたウッドフレームタイプがあります。

 

それらには各々の特徴があり、どちらが良いとか悪いとかではなくあくまでもデザイン性も含めた好みとなることが大前提にあることを前置きしておきます。

 

一般的ゆえ張りぐるみタイプの方がイメージしやすいでしょうし、一方のウッドフレームタイプにおいては、かつては長椅子と言われたような椅子の延長線上にあったものも思い出されます。

 

それゆえそれらはソファとは認識されていなかったようにも感じられますし、やはりオーセンティシティソファの誕生は大きな転換点だったようにも感じられます。

 

長椅子ではなく初めて上質なソファと言える座り心地を手に入れたもので、単にお尻が痛くなり難いようにと板座上に薄いクッションを置いたような仕様とはまったく違うところが肝になります。

 

そもそも出発点が違うのですが、つまりウッドフレームタイプのデザイン性は好きだがソファとしての機能性は張りぐるみタイプには敵わないとの認識が一般的だったことからも、ある意味割り切った選択を迫られていたようにも感じられます。

 

その点において同じスタートラインに立つことが出来たとも考えられ、どちらのタイプが自身にマッチするのか…に絞り込んで選定することが可能です。

 

ウレタンと生地で包まれた張りぐるみタイプの方が痛くないとか危なくないとか思われがちですが、そのような印象もしっかりとしたクッションがほぼ払拭してくれるでしょう。

 

また、ウッドフレームタイプにおいては張地の占める割合が少ないことからも費用的にも替えカバーによる模様替えもハードルが下がりますし、生地ではないウッド部分は経年劣化ではなく変化と捉えるとどんどん愛着も湧いてきますので、他の木製家具と同様との意識を持つと楽しいのかもしれません。

「学び続けること」

過去にも記したことがあるとも思われますが、私がこの世界に飛び込む意識を決定付けた存在にリートフェルトのレッド&ブルーチェアがあります。

 

美大在学中ともあり何かと多感な時期でもありましたが、多くの出会いの中でも最も衝撃的なものだったことを今でも思い出されます。

 

母校の武蔵野美術大学は豊富な近代椅子コレクションに置いてかなり有名で、名作椅子と言われる数多くの製品に実際触れられる恵まれた環境でした。

 

自身にとってはプロダクトデザインを学ぶ上での最大の教材でしたし、椅子自体に興味を持ちだした中学生時代までさかのぼれば自身に最もマッチした環境で学ぶことが出来たと考えています。

 

その構造からも小さな建築物とも言われますので、基本的な構造も自然と学ぶことが出来ましたし、新卒時は大手総合家具メーカーのデザイン部に就職出来たものの、多くの名作椅子は建築家により生み出された背景があることからも先ずは建築設計事務所にて勉強することを選択しました。

 

家具が設置される器となる空間より勉強することは自身にとっても意味があることでしたし、また在日米軍施設内設計を行う特殊な設計事務所ともあり幅広い建築物に携わることが出来たことも良かったものです。

 

新築物件ばかりではなく当然のようにリペア物件もありますので、全国の在日米軍基地に出向きインスペクションを行ったことも自然と建築構造を学ぶことにも繋がりました。

 

ご縁があり学生時代よりアルバイトとして勉強しており、その当時の図面は平行定規を用いた手描きだったものの、基本的にアメリカの仕事ともありAUTO CADを導入も比較的早かったものです。

 

皮肉なことに軍事目的となる技術が最先端とも言われている時代でしたので、その点において最先端技術の中で勤めながら学ぶことが出来たとも言えます。

 

このような経緯を経て今現在があると考えると感慨深いものがありますし、一生を終えるまで勉強との意識を改めて確認しているところです。

購入のタイミング

空間のお洒落感を演出する目的も少なからずありますが、一般的に家具においては必要に迫られ購入に至るケースが多いものと思われます。

単なる買い替えも立派な理由となり、いずれにしても必要な機能性として他には代用できないものなのでしょう。

長年使用することにより満足できる機能性が失われることもあるでしょうし、やはり家の道具ですので出発点はここにあるものとも思われます。

例えばベッドにおいては、単に眠ることの機能性に絞り込めば床面に布団でも問題ないかもしれませんし、それが日本の文化だと言われれば否定することもありません。

しかしながら歳を重ねるごとに床面での布団は辛く感じられることも良く耳にすることですし、私自身布団で熟睡することは現実的に難しくなっています。

身体的に立ち上がり難いとかの困難はないものの、底突き感が一切ない快適なマットレスのクッション性は畳に布団では得られることが出来ないものです。

また、呼吸する顔の位置として、床面に近い布団ではなくベッド上の高さになることにより劇的に空気が綺麗になることも聞いたことがあります。

更には、これは付帯的な一部機能に過ぎませんが、ベッドマットレス上に腰掛けることも程よい高さとなることからも背もたれはなくても不思議と心地良いものです。

以上は一部を除き主観的なものなのですが、一度その快適性を覚えてしまうとそれがない生活は難しいことが現実だと思われます。

このことはソファにおいても同様だと思われ、一度でも良いので真に心地良いソファを相応な時間いろいろな姿勢で試されることがお勧めです。

それにより劇的に身体が楽になることを実感できますし、自分自身の健康管理面においても体に直接触れる家具は特に意識した方が良いだろうと考えます。

「購入のタイミング」

空間のお洒落感を演出する目的も少なからずありますが、一般的に家具においては必要に迫られ購入に至るケースが多いものと思われます。

 

単なる買い替えも立派な理由となり、いずれにしても必要な機能性として他には代用できないものなのでしょう。

 

長年使用することにより満足できる機能性が失われることもあるでしょうし、やはり家の道具ですので出発点はここにあるものとも思われます。

 

例えばベッドにおいては、単に眠ることの機能性に絞り込めば床面に布団でも問題ないかもしれませんし、それが日本の文化だと言われれば否定することもありません。

 

しかしながら歳を重ねるごとに床面での布団は辛く感じられることも良く耳にすることですし、私自身布団で熟睡することは現実的に難しくなっています。

 

身体的に立ち上がり難いとかの困難はないものの、底突き感が一切ない快適なマットレスのクッション性は畳に布団では得られることが出来ないものです。

 

また、呼吸する顔の位置として、床面に近い布団ではなくベッド上の高さになることにより劇的に空気が綺麗になることも聞いたことがあります。

 

更には、これは付帯的な一部機能に過ぎませんが、ベッドマットレス上に腰掛けることも程よい高さとなることからも背もたれはなくても不思議と心地良いものです。

 

以上は一部を除き主観的なものなのですが、一度その快適性を覚えてしまうとそれがない生活は難しいことが現実だと思われます。

 

このことはソファにおいても同様だと思われ、一度でも良いので真に心地良いソファを相応な時間いろいろな姿勢で試されることがお勧めです。

 

それにより劇的に身体が楽になることを実感できますし、自分自身の健康管理面においても体に直接触れる家具は特に意識した方が良いだろうと考えます。