「究極の寛ぎ」

Pocket

ソファらしいソファを使うことがなかった当時は、畳の上で胡坐をかくことや、座椅子でも充分寛ぐことが出来たように思われます。

しかしながらいつしかそれが苦痛に感じられるようになり、今では椅子やソファで腰掛けることに勝るものはないと思うようになりました。

同様に以前は和室に布団で眠ることも多かったのですが、今ではベッドでなければ快眠できなくなってしまっています。

一体自身の体にどのような変化があったのか考える際に、何よりも年齢があるのですが、もしかすると若いゆえ苦痛に感じることが少なかった可能性もあります。

既に父は亡くなりましたが私自身の両親においても、年を重ねるにつれて和室での生活は体に負担がかかるようになったようで、リビングはフローリングにリフォームしたことも思い出されます。

そのように考えると、古来の日本的な寛ぎのスタイルは少なからず体に負担を掛けているのかもしれません。

ソファにおいても、いわゆるロータイプとなるものは座面高も低いことからも、若いうちは問題ないのですが年を取ると立ち上がり難くなってしまいますので、座面高は高めが好まれるようになります。

お尻の位置の高低差が大きくなるのですからそれは当然のこととも言えますが、立ち上がりの動作は日々の運動に繋がっていると考えればそれも否定はできないものの、究極の寛ぎと言う観点においては如何なものかと思われます。

身体を思いっ切り預ける際にも、あまりにも座面高が低いとそれも難しくなりますので、特にソファにおいては適度な高さが必要になり、更に立ち上がりやすさの観点からも適度な座面高があると言えるでしょう。

このように沈み込み分も含めた数値面も計算され尽くされたものが良いソファとなり、安心して思いっ切り身体を預けることが出来るくらいの強度面も有することによりはじめて究極の寛ぎを表現することが可能になります。

Pocket