「注意力」

「注意力」

最近気になることとして、ベビーカーに子供さんを乗せた状態でスマホに夢中のお母さまたちの存在があります。

 

立ち止まった状態だけではなくベビーカーを押しながら夢中でスマホを操作する姿を目にするたびにハラハラしてしまいます。

 

電車のホームだったり横断歩道の手前だったりと、それこそ危険だと感じられる場所においてもお構いなしのように感じられます。

 

安全ベルトをしているから大丈夫との意識面かもしれませんが、必ずしも赤ちゃんではなく小さな子供さんの場合も少なくないため、想像だにしないことをしてしまう可能性も考えられます。

 

進行方向を向けた状態となるとその様子を逐次確認することも出来ず、ぐずる声や手足をばたつかせている状態を感じ取りながら安全を確認しているのでしょうか。

 

個人的には車の運転中に匹敵するくらいに危険な行為だと感じているのですが、事故が起こってからでは遅すぎます。

 

スマホ一台にていろいろな情報をリアルタイムに入手することが出来、また常に連絡を取り合うことが出来る環境をごく普通に手に入れることが出来ることは素晴らしいことです。

 

自身においても既にそれがない環境は考えられない状態ですが、おそらくそれにより何かが犠牲になっているような気がしてなりません。

 

既にそれが存在していなかった時代に逆戻りすることは出来ませんが、その時代のことを少しでも思い出す機会があっても間違いではないのだろうと思っています。

 

不思議に感じるくらいに遠い昔のことになってしまうことからも当時の感覚を思い出すことは難しいものの、例えばその便利なツールが存在しなかったとしたら各局面でどのように対処することが望ましいのか考える注意力は損なうことがないようにしたいと考えています。

「エコの原点」

「良いものを長く…」とはフォルクスワーゲンのCMにて印象に残っています。

 

新車販売を意図するCMにおいてそのキャッチフレーズは如何なものか…との反論が少ないことも承知していますが、「良い車ゆえこれに乗り換えて長く乗り続けましょう」との一定の趣旨は理解出来ますし、純粋に言葉の意味として捉えれば間違いではないだろうと考えています。

 

現実的に自動車は典型的な消耗品だとも思われますが、年代物のいわゆる旧車を大事に乗り続けている人も決して珍しくありません。

 

そのような方々においては、新車購入を促すべくCMのキャッチフレーズとしては不適切だとの気持ちになることも分からないものでもありません。

 

旧車ゆえ少しばかり燃費が悪くても、また排気ガスが少々汚くても、新車に乗り換えるよりもエコだとの意識面だと思われます。

 

一方では、新車登録から13年や18年が経過することにより自動車税や重量税が高くなりますので、その点において乗り換えを促していることも事実なのでしょう。

 

何よりも自動車の場合は保安部品等の劣化により重大な事故に繋がる可能性もあり、自分自身だけではなく他人にまで危害を及ぼす可能性があることからも、自動車の構造にかなり詳しく自身で常日頃メンテナンスを行うことが出来る人でなければ危険性も増してくるものと思われます。

 

その点において「良いものを長く…」がエコの原点だと言える典型的な存在として家具があると考えています。

 

当然のように良いものでなければ安心してまた愛着を持って長く使い続けることは出来ませんので、このことはすんなりと理解出来るだろうと思われます。

 

地球上の貴重な資源を用いて製作するのですから、しっかりと壊れないように作ることが大事ですし、消耗品ではなく一生ものとして大切に使い続けることが出来る家具の重要性について広く認識してもらえるように今後とも活動していければと考えています。

「書き留めること」

30年以上前のことになりますが、都内勤務より一旦Uターンにてお世話になった会社時代には毎日欠かすことなく個人的な業務日誌を書いていました。

小さなキャンパスノートに手書きで記していたもので、日々の天気や気温も細かく記したうえで業務内容についても時間単位で記していました

それだけにお世話になった約7年間でたまったキャンパスノートはデスクの引き出し一杯分を埋め尽くすくらいになったもので、表紙のカラーもブルー→グリーン→ピンクの3色を順番に使用していたこともあり綺麗に色分けされたものです。

あくまでも個人的なものゆえ他人には一切見せる必要もないものなのですが、業務上関わる過去の内容を確認することによりそれまでの経緯も明らかになりますし、単に日々の業務内容を綴るだけではなく感情も書き入れていたこともありその点において業務日記と言えるものだったのかもしれません。

Uターン直後はインテリア全般の勉強のためにイタリア短期留学も経験しましたし、その際には日々映像としても記録すべく一眼レフカメラを持ち歩いていたものです。

当時はデジタル一眼ではなくフィルム時代ですので、日本から持ち込んだ大量のフィルムでも足りずミラノ市内で何度か買い足したことも思い出されます。

すべての現像は帰国後に行ったもので、日時は画像内に記録されるように設定していたもののそれだけでは情報量として満足できるものではないだろうと考え、日々の日記をつけ出したことがきっかけとも思われます。

感情についても細かく記していたと記憶しており、日々刺激的なことの連続だったこともあり自然と書き留めることになったものです。

週末はフリータイムでしたので、各種伝手を辿りミラノ郊外に住まわれる有名デザイナーの豪邸だけではなく集合住宅に住まわれる方々の実際の暮らしぶりについても見学させていただくことになりました。

すべてにおいてお洒落だと感じましたし、それが普通に根付いていることも素晴らしいと感じた当時の感情も改めて読み返すことは感慨深いものがあります。

「立ち木」

先日は久しぶりに地元石川県に一時帰省する機会があったのですが、先ずは空き家となっている自宅敷地内の草刈り作業から始まります。

 

石川県と言えば金沢をイメージされる方が多いとも思われ、石川よりも金沢の方が有名と言っても過言ではないでしょう。

 

当方の自宅はそのくらい有名な金沢市内より遠く離れたスキー場の麓となる山間に位置しており、それゆえ冬場はスキー板を履いて通学していたことも思い出されます。

 

そのような環境ともあり冬場の体育の授業ではスキー実習もありましたし、ジュニアチームが存在したこともあり小学校低学年の頃より自然とアルペンスキー競技にも一生懸命でした。

 

話は逸れましたが、このような自然豊富な環境で育ちましたので、また父親が林業関係の仕事に従事していたこともあり小さな頃より山の中での仕事の手伝いをさせられたことも記憶に新しいものです。

 

植樹から大きく育つまでは草刈りも頻繁に行っていましたし、杉の木の枝打ちや雪の重みで倒れた木を真っすぐに起こす作業もいつものことでした。

 

このように多少なりとも山仕事の手伝いをしていたこともあり、実家の近くに自宅を新築した際にはお祝いとして各種広葉樹の苗木をプレゼントされ、それらを自らの手で敷地内に植えたものです。

 

しかしながら充分な備えが出来なかったことにより雪害により多くの枝が折れてしまったことを機に急に元気がなくなり、先日はそのうちの一本が手で簡単に折れてしまいました。

 

ほぼ空き家状態となってしまったことによる自らの責任なのですが、亡き父親からのプレゼント樹木が折れてしまったことは相応にショックだったものです。

 

そして木も生き物だと言うことを痛感することになったもので、世話を怠った栗の木も絶えてしまったことからも生半可な気持ちでは植える資格もないのだろうと反省することになったと同時に、木の家具の素晴らしさも実感することになりました。

「得意分野」

自身が小さな頃には、身の回りのいろいろな物を用いていろいろと工作をしていました。

それがとにかく楽しくて…それを始めるために宿題を早めに済ませていたと言っても過言ではないくらいで、少なくともそのことにより嫌なことは早めに終わらす習慣付けが出来たようです。

あとのことを考える必要がないフリーな状態にしたうえで好きなことに取り組むことにより何よりも作業に集中できますし、このような意識は今も変わることはありません。

自身の性格上、集中と言うよりも完全に没頭状態となりますので、自分で言うのもおこがましいのですが職人気質だとも感じています。

聞こえが良いように言い換えていますが、小学低学年より始めた各種工作は図画工作の授業でも良い意味でも悪い意味でも活かされており、先生からは「この子の作品は変わっている…」といつも言われていました。

当時母親も同じ小学校に勤務していたこともあり、帰宅すると「また〇〇先生があのように言っていた」と聞かされたことを今でも鮮明に思い出されます。

つまり自他共に認める「変わった人」だったことからも、当時の図画工作の先生からは将来は○○になるべく有名な人間国宝の先生に弟子入りしたらどうですか?との具体的な紹介もあったくらいで、さすがにそれには母親が丁重にお断りしたことを大人になってから初めて聞かされたこともあります。

当方は石川県で生まれ育ちましたので、特に工芸の分野では環境的にも各種選択肢があったことも事実ですが、そちらに興味を抱くことはなく中学生時代の技術の授業で製作した折り畳み椅子に強く心を惹かれたことが今に繋がっています。

このように考えると人が進む道はどのように転ぶか分かりませんが、「好きこそものの上手なれ」はいろいろと体感してきたことからも、何でも良いので得意分野を極める意識は必要かもしれません。