「環境の重要性」

育つ環境は人間性に影響を及ぼすことは否定できない事実だと思われます。

私事ですが、私の亡父は私の息子に少なからず影響を及ぼしていることを再確認することが多くなっています。

彼が未就学時代のことですが少しばかり同居していた時期やその後も近所に住んでいた時期に影響を受けたようで、日常生活ばかりではなく仕事に対する考え方についても正直「似てるなぁ」と感じさせることが多々あります。

自身の信念を貫くある意味とても厳しい人でしたので、そのあたりは仕事面に大きな影響を与えたものと思われます。

一方では、自身に厳しく他人には優しくとの姿勢は終始一貫していましたので、小さいながらも常日頃そのように諭されていたことや実際とても優しく接してくれたことを今でも一番に思い出すとのことです。

恥ずかしながらこの部分は家に居る時間が短かった実父よりも祖父の影響を受けているようで、その姿勢を貫き通す様子に私の母は亡父の姿を重ねているようにも感じられます。

息子の言うことは多少なりとも疑念を持ちながら聞くこともあるようですが、孫の言うことはその限りではなく、強かった亡父の意思である以上それに完全に従うとの姿勢が見えてきます。

このように仮に同居していなくとも一緒に過ごした時間が長いことにより少なからず影響を受けることは確かなようで、やはり環境がとても重要になることは間違いないようです。

このことは社会人になってからも同様だと思われ、家族間ではない人間関係において悩むことも少なくないとも思われますが、信念を持って一生懸命取り組み続けることにより必ず良い方向に向かうものと信じています。

それに加えて、やはり他人に対する優しさを忘れることなくすべてにおいて取り組むことが必要なのでしょう。

「製造コスト」

モノづくりにおいて、一円でもコストを抑える意識が必要なことは誰も否定できないと思われます。

工場における効率化はもちろんのこととして、定番の仕入れ部材についても一円でも安く仕入れる方法を探り続ける意識は必要なのでしょう。

それが輸入品であれば、仮に難しいと思われても直接仕入れる方法を探ってみることも悪いことではありません。

多くの場合は代理店契約を結ばれている日本の会社があり、双方にとってメリットがあるゆえの仕組みでしょうし、その抜け道を探るようなことはナンセンスなのかもしれません。

仮にそれが難しいとの結論に至ったとしても、もしかするとその過程では知らなかったことに気付く可能性も否定できません。

長年使い続けてきた部材から変更することは相応に手間も掛かりますし、何よりも慣れにより作業性が高まっている(コストダウンに繋がっている)状況を崩すことは相応に勇気も必要になるのでしょう。

コストダウンを図ることは利益率を高めることに繋がりますので、価格とのバランスを見極めながらギリギリの選択を迫られる場合も想像できます。

一方では、仮にコストアップすることになったとしても製品価値がそれ以上にアップすることにより価格アップが受け入れられることもあると思われます。

また価格を維持することにより実質的な値下げに感じられ、結果として販売量アップに繋がる可能性もありますので、利益率と販売量との兼ね合いはとても難しい判断になると言うことでしょう。

このようにコストについてはとても重要な要素となるのですが、ダウンの意識だけではなく時にはその反対の状況を想定したモノづくりも必要になるのかもしれませんし、その価値を伝えるデザイン性と共に伝える意識が常に必要になると思われます。

「見方」

過去に何度か取り上げてきましたが、ソファにおける張地選定はその表面積が大きいだけに決して軽視出来るものではありません。

また、それには少なからず条件が付加されるだけに、その選定基準においても複雑になる傾向が感じられます。

ここで言うところの条件とは、子供さんが小さいとかペットを飼われているとか、いわゆる憧れのインテリアコーディネイトとは別の観点にて汚れが目立たないものとか爪を立てられにくいものとか一気に現実世界に突入します。

もちろん現実的な観点は無視できないものの、これに意識を向けすぎてしまうと本末転倒になりかねません。

今回はまったく別の内容になりますが、ソファの張地をご覧になる際の見方が明らかに違うと感じられるときがあります。

これは製品自体の見方が違う場合と近いものがあり、結局のところはそれに関連する専門分野に携わっていることが分かります。

資材メーカーであったり生地メーカーであったりと、完全なプライベートタイムであっても自然とそのような見方になってしまうことは職業病と言えるかもしれません。

それが具体的にどのように違うのかと質問されると回答に困るのですが、文字通り見方が違うとの言い方が最も適切なものとなります。

一般の方では見ない角度からご覧になったり、ある一点を集中的にご覧になったり、また生地であればその組成を同時に確かめられ、本革であればサンプルを折り曲げてその部分を凝視したりされます。

それだけに返って分かりやすいとも言えるもので、自然とその分野の専門的な話題になり、結果としてこだわりのスペック面を充分ご理解いただくことに繋がりますので、やはり専門家の視点からも充分耐え得る製品開発が必要なのでしょう。

「美的センス」

普段何気なく見ているものも、カメラのファインダー越しだと違って見えることは珍しいことではありません。

これはいわゆるライブビューとして小さな液晶画面から見える画像ともまた違ったものになります。

大きな違いは小さなファインダーに片目を接眼させて覗くことにあり、この物理的な動作が意識面にも大きな影響を及ぼすものと考えています。

片目で覗く動作ゆえの意識の集中度はまったく違いますので、よく言えば見えないものが見えてくるのですが、反面粗も見えてきます。

多くの場合は細かな粗が見えてきますので、それを映像として残す意識としては当然のように綺麗に整えたくなります。

また、画作りの観点からは普段とはあえて違うアングルを探ることになりますので、このことも普段は感じていないものを気付かせることにも繋がります。

一方では、普段は見えないところゆえその部分を綺麗に整えることの意味合いについては疑問視されることもあるかもしれませんが、ここから先はそれが気になる/気にならない、の話になるのだろうと思います。

神経質だと思われる可能性も否定できませんが、少なくとも写真撮影におけるスキルとしてはこの意識面は必要になるものと考えています。

無造作にシャッターを切るだけでは決して良い写真は撮れませんし、最低限の撮影技術は必要なものの、それ以上に必要なことは被写体を見極める意識面にあるのでしょうし、少なからずセンスが必要になるのでしょう。

それと同時に、気になる部分に気付く意識面も重要なのでしょうし、またどうすればそれが解消されるのか技術的な知識も多少なりとも必要になるものと思われます。

もしかするとそれらを併せ持つことが美的センスなのかもしれません。

「直接」

ご新築やマンション購入を機に、インテリア全体のコーディネイトをプロに依頼される方も少なくないと思われます。

元来その需要があったため、専門家を育成する学校や資格制度も生まれた背景もありますので、決してそれ自体を否定するものではありません。

すべてを丸投げされる施主様も居るかもしれませんが、多くの場合はそれを機にご自身でもいろいろと勉強されることが共通しているように感じられます。

具体的な製品についてもご自身の足でいろいろとご覧になる方も少なくないようで、当初よりまったくの先入観がないこともあり結果としてプロが知らないようなものを見付けられることも珍しくないようです。

その過程ではアイテム別に気に入られたものにもめぐり会うことになるのでしょうが、それらを最終的には上手にまとめ上げる必要があることからも、やはりその点においてプロの存在は必要なのでしょう。

問題はそれらの売買にも関わってくることだと考えており、そのようにしなければいけない背景があることは比較的耳にすることです。

これはデザインにおいても良く言われていたことであり、特に日本の場合は家具デザインに対するソフト面に対する意識が低いように感じられます。

結果としてそれに対する対価が支払われなかったり、とても安価に済まされたりと、このようなことも相変わらず存在することを耳にすることになります。

同様なことはインテリアコーディネイトの世界でも見られるようで、ソフト面に対する充分な対価が認められにくいこともあり、結果として製品の売買にも関わってくることにあるようです。

時にはそれが主な収入源になることも珍しくないようですが、やはり直接やり取りを行うことによる施主様へのメリットはとても大きなものがあり、何よりもそれが施主様にとって間違いのない選択になることを強調しておきたいと思います。