「価格の概念」

以前にも記したことがありますが、日本においては安価なソファが氾濫していることもあり、残念ながらその価格に対する概念は低いままのようです。

一方では、高級ソファだとイメージされているイタリアの有名ブランドメーカー製となると価格も相応に高額となることからも、一般的には最初から選択肢となることは少ないものです。

ソファが販売されている場所も背景としてあるようで、それは一般的な家具店やインテリアショップだけではなくホームセンターや一部大型家電量販店でも取り扱いがあります。

これは個人的な印象かもしれませんが、そもそも一般的な家具店ではデザイン性も機能性も優れたソファの扱いはなく、それらのイメージは数十年前と大きく変わることはありません。

少しばかりお洒落な印象があるインテリアショップにおいては、扱われているソファはいくつかの限られた分野に分類できるくらいに何処も同じように見えてしまいます。

ライフスタイルショップと言われた当時は、オリジナル製品を独自に開発されていたこともあり、同類テイストは少なくなかったものの相応にオリジナリティが感じられたものです。

このように考えると、おそらくですが扱われているソファ自体に個性が無くなってしまったことが背景としてあるようで、結果としてソファに対するイメージは価格帯も含めて何処も同じとの印象を与えているように感じてしまいます。

やはり良い意味での個性が必要になるでしょうし、それにより選択肢が広がることにも繋がりますので、「安価であれば売れるだろう」とか、「安価でなければ売れない」とかの安易な意識面も改善してもらいたいものです。

また、そのような現状だからこそ個性的な純国産ソファの選択肢をもっと増やすことも大事で、実際使って納得できるクオリティに見合った価格帯製品が増えてくることが重要だろうとも考えています。

「機能するデザイン」

とても残念なことですが、大学時代の恩師と言える先生がお二人ともお亡くなりになりました。

お二人の偉大なる先生からはそれぞれプロダクトデザインとインテリアデザインを学んだもので、それが家具デザインの礎になったことは間違いありません。

一方では、典型的な若気の至りとも言えるのでしょうか、当時はそれほどまでに偉大な先生方だとは強く認識することもなく、もっと多くのことを積極的に学ぶべきだったとの後悔にも似た想いを今でもずっと抱えています。

5年ほど前には25年ぶりくらいにお二人の先生ともお会いすることになったのですが、当方が真っ先にご挨拶に伺ったところ、お二人とも当方のことを懐かしそうに名前で呼んでくださいました。

学ぶ立場だった学生がお世話になった教授陣の名前を憶えていることは当然ですが、ずいぶんと老けてしまった学生の顔だけではなく名前まで憶えていて下さったことには感謝の気持ちでした。

もっとも、これも今思えば若気の至りなのですが、お一人の先生には同じ大学の学生だった妻との結婚式での仲人を務めていただき、また列席いただいた他の先生方には有難くスピーチも頂戴しました。

スピーチの内容についても印象に残るワードを今でも記憶していますので、本当に恵まれた学生時代を過ごすことが出来たものだとつくづく感じるものです。

デザインを学ぶうえでの印象に残るワードも心に刻み込んでいますので、デザインのテクニックはもちろんのこととして、最も重要なこととしてそれに取り組む意識面を学んだものです。

少なくともその意識面はデザインを考えるうえで絶対外すことは出来ないことになっていますので、やはりデザインを専門的に学ぶことの意味合いはとても大きいものとも考えています。

どのような業種も共通するものと思われますが、より専門性を要するものであればやはりプロの存在は必要不可欠ですので、自称デザイナーが少なくない業界ですが、機能するデザインの本質を探り続けていきたいと考えています。

「コストパフォーマンス」

一般的には掛けた費用や労力に対する満足度のことを指すと思われ、類義語としては費用対効果やリーズナブル等が使われているようです。

以前にも記した記憶があるのですが、意外とそれら意味合いをはき違えて使用されている場合も少なくないように感じます。

例えば絶対的な価格が安ければそれだけでリーズナブルと表現される場合も見られ、大事な実際の使用性との兼ね合いについては評価基準として大きなウェイトを置かれていないようなケースも見られます。

それゆえ「安価=リーズナブル」のように用いられていることが少なくなく、その反対に一般的に高額と感じられるものはリーズナブルとは表現されないようにも感じられます。

仮に一般的には高額だと思われる製品やサービスにおいても、それ以上の価値を認めることが出来れば充分リーズナブルとも言えるでしょう。

このように、本来であれば「理に適う」とか「妥当な」とか「納得できる」との意味合いが、単に価格が安ければ納得できると短絡的に結びつけられたことが背景にあるようです。

もっと言えば、価格さえ安ければ少々のことには目をつむることも出来て「価格の割には悪くないね」との評価が一般化してように感じます。

一方のコストパフォーマンスにおいても、単に「価格の割には良い」との判断基準に基づき「コストパフォーマンスが高い」のように表現されることが多いように思われます。

もちろんそれも間違ってはいませんが、その価格の意味合いについても少しばかり掘り下げて探ると、仮に同じような製品と比較すると高額となるものにおいても、価格を設定するうえでの積算基準がまったく違うかもしれません。

例えば使用部材の仕入れにおいて、問屋経由なのか直接仕入れなのかにより入手価格はまったく違ってきますので、可能な限りコストを落としたうえで価格設定がされたものはその時点で充分コストパフォーマンスが高いと言えることも認識すべきだと考えます。

「家具の使い方」

現在はウォルナット無垢材のダイニングテーブルを使用しています。

天板は一枚板ではなく幅剥ぎ仕様となるものの、厚さは30mmあるためサイズ感の割にはがっちりとした印象となります。

天板の仕上げはオイル風に見えるウレタン仕上げとしており、個人的には現実的に最も使い勝手が良いだろうと考えています。

相応に愛着を持って大事に使用しており、もちろん食器類を直接置くようなことはないものの、5年も使用すると気が付けば相応に細かな傷が気になるようになっています。

それを防ぐためにと、天板全体にテーブルクロスや透明のビニールシート等で覆ってしまうことも選択肢かもしれませんが、それであれば最初から樹種や仕上げにこだわる必要もないのでしょう。

家具ゆえ使い込むにつれて相応に傷付いたりもしますが、それも含めて楽しむことが出来るものが本当に良い家具とも言えるでしょうし、傷付きを気にし過ぎることは本来の機能性として本末転倒になってしまうものとも思われます。

ソファにおいても同様だと思われ、悩んだ末に選定された張地なのに、汚れを気にするばかりにオーバーカバーで覆ってしまってはデザインも張地もまったく関係なくなってしまいます。

極論を言えば、大事にするばかりに使用することなく置物として眺めて楽しむようなこともあるのかもしれませんが、少なくとも家具においては使うことが製品に対する思いやりのようにも感じます。

個人的には極力新しい状態をキープしたいと考えるタイプともあり総合的にモノは大事に使う方だと思うのですが、直ぐに壊れることがない良いものをしっかりと使うことを心掛けることにより本来の機能性を発揮できるものと考えています。

良く言われることですが、家具と共に成長すべく使い込むことが自然でしょうし、ある段階では完全にリペアできるような仕様であれば更に安心して使い続けることが出来るのでしょう。

「明けましておめでとうございます」

例年同様の書き出しになるのですが、早いもので新年のご挨拶も今回で17回目となります。

これを機に過去16回分を一度に読み返すことも慣例化しているのですが、今年においては元日より大震災や大事故があり、記録の意味においてもそれらに触れる必要があるだろうとの気持ちです。

当方は石川県にて生まれ育ち、大学への進学を機に都内に移り住んだのですが、一旦Uターンすることにより仕事も一旦リセットすることになりました。

その行動が結果として現在に繋がっており、その後の自然な流れにより再度都内に住まいを移しています。

どちらの経験も現在に至る過程として欠かすことが出来なかったことは間違いありませんし、その点において今回の能登半島地震については思うことも少なくありません。

また、この大震災が発生しなければ起こっていなかっただろう羽田空港の大事故についても、その関連性を思うと何とも言えない気持ちになります。

海上保安庁の小型機は小松空港への救援物資を運び終えた後に羽田空港に戻り、続いて新潟空港へ救援物資を運ぶために離陸しようとしたところでの事故のようです。

要するにピストン輸送中だったと言うことになりますので、少なからずイレギュラーな飛行だったものと思われます。

報道を耳にする限りにおいては、C滑走路の出発機としての順番はナンバーワンと表現されているようですし、それがイレギュラーとはなるものの優先的に滑走路使用の順番を早めてもらったものと勘違いされた可能性を感じました。

その仕事内容からも管制官はとても優秀な方々でしょうし、航空機の機長や同乗者においても同様でしょうが、その指示系統は専門用語を用いた言葉によるものゆえ意思疎通がうまくいかなかったことは確かなのでしょう。

そのように考えると言葉は機械のように壊れたりはしないものの、意思疎通の重要性を改めて思い知ることになりました。