「適正」

この価値観は、もしかすると常に意識したうえで最も大事にしていることかもしれません。

 

一方では、興味を引くためには適正な内容だけでは響くことは少ないのかもしれませんし、それゆえ場合によっては過激とも感じる何かをアピールすることになるのでしょう。

 

例えば、車の査定を数社に依頼された際に、当然のこととしてその数字に大きな興味を示すことになりますので、それに付帯する各種条件面についてはあえて小さな文字にて表記されることも珍しくないのかもしれません。

 

高額査定だけに飛びついた結果として、もしかすると総合的な判断としては間違っていたなんてことも充分起こりうる感じがします。

 

それは受け手の問題でもありますが、発信するサイドとしては一時の興味を引くような過剰な内容だけに意識を向けることは如何なものかとも感じます。

 

そのようなことを続けることによりどこかで辻褄が合わなくなると思われますし、強引に合わせようとすると多少なりとも真実とは違う部分も露呈するようにも思われます。

 

一度行ったことは完全に消し去ることは出来ませんので、過去にさかのぼり経緯を確認しながら正しく判断しようとしても、どこかに矛盾も生じることは間違いありません。

 

そのように考えると、やはりすべてにおいて正直に進めることでしょうし、これが適正と言うことだろうと判断しています。

 

このような考え方はデザインにおいても常に意識していることであり、一時の流行に左右されることなく、やはり本当の意味でのオリジナリティは大事にしたいと考えています。

 

また、本来のその使命についても忘れることなく常に正直にいろいろな面において適正であることを意識していきたいと考えています。

「興味」

興味の対象にあるか否かによって、その取り組み方はまったく違うものになると思われます。

もちろん興味のあるものであれば自然と覚えることも多くなるのでしょうし、知識が増えるごとに更に興味も増してくるのでしょう。

このように良い循環に入り込むことによりどんどん知識が増すことに繋がりますので、まさしく「好きこそものの上手なれ」と言うことなのかもしれません。

一方、興味の対象外であればそもそもそれに関わること自体ないのかもしれませんが、仮にそのような環境になった際はもしかすると苦痛でしかないのかもしれません。

このように、同じことであっても人によって興味があることとないことはまったく正反対の位置付けになりますので、話題として取り上げる際には注意も必要になるでしょう。

このことは仕事として取り組む業界内にも言えることでしょうし、例えば多少なりとも興味があるからと言ってまったく未経験の業界に飛び込むことは相当な覚悟も必要になるだろうと考えています。

もちろんその興味が本物であれば仮にスタート時期が遅くとも充分挽回することは可能でしょうし、もしかすると別業界での経験が何かの役に立つ可能性も否定できません。

ともかくもその道のプロになる意識にて一生懸命取り組まなければどの業界においても成功はしないのでしょうし、仮にやらされているとの意識がどこかにあるとすれば難しいのかもしれません。

このように考えると、同じ業界で長く続けることのベースに「興味」があればそれに越したことはありませんので、先ずはこれをもって取り組むことが出来ているのか確認することも大事なのかもしれません。

また、最初はそれほどでもなくとも徐々に知識が増えることによりその度合いが一気に増す場合もありますので、ある程度の期間はとにかく頑張る必要があるのでしょう。

「主導権」

デザイン依頼を受ける際に、先ずそのイメージをヒアリングすることは少なくありません。

いろいろなケースがありますので必ずしもそれがマストでもないのですが、その後の流れについては当初よりある程度決めておくことは必要だろうと考えています。

デザイン画や図面での確認後は実際試作に取り掛かることが一般的で、その過程では製造面における問題点を検討した結果として、場合によっては一部デザインの見直しを行うこともあります。

しかしながら基本的には製造上の問題点を優先させることは少なく、あくまでもデザインを優先させたうえでどのように製造するのか工場にて検討することが結果として良いものが生まれるものとも考えています。

若い頃に少しばかり勉強することになったイタリアでは、デザイナーよりもそれを具現化するモデラーの存在が重要になり、決してその形状をつくり出すことが出来ないとは言わないとも学びました。

その時点で存在する技術や機械では加工できないとすれば、それを可能とする機械から開発するとの考え方には感動したことも思い出されます。

そして、仮にそれが失敗に終わったとしても非難するのではなくそのチャレンジ精神に対して拍手を送る国民性があることも知り、それゆえ斬新なデザインなものが生まれてくることも少しばかり理解できたものです。

このようにデザインを具現化することは完全にプロの領域に入りますので、そこから先は少なくとも素人が口を出すところではないと思われます。

しかしながら意外とそうではないことも珍しくないようで、結果として時間ばかり要して出来上がったもののデザインも含めたクオリティはそれほど高いとは言えないこともあるようです。

やはり大事なことはデザイナーが主導権を持って進めることでしょうし、クライアントの意見に引きずられることなくプロとして結果を出すことだろうとも考えます。

「卓越」

家具においては特に、一見して同じように見えるものが市場に氾濫しているようです。

一般消費者にしてみれば選択肢が増える意味合いにおいて決して悪いことではないのかもしれませんが、その価格帯もかなり幅広く「見れば見るほど益々分からなくなった」との声は少なからず耳にします。

その中から間違いのないものを選定することは、その構造も含めて家具についての専門的な知識を有していなければ難しいのかもしれません。

一般的にはとても難しいことゆえ、結果として仮に失敗しても後悔が大きくないような価格帯に抑える意識が芽生えるように感じています。

それほど高額ではなかったこともあり仮に何かあっても諦めがつくとの意識だと思われますが、このような基準にて購入/使用されることにはやはり違和感を覚えざるを得ません。

そもそも最初から多くを期待していないと言うことですので、そのような意識で購入されたものに果たして愛着を抱くことが出来るのでしょうか。

結果として大事に使用されることは少ないのでしょうし、その結末は短寿命からくる使い捨てと言うような悪いサイクルが見えてきます。

更に言えば、そのような環境下で育つ子供たちにどのような影響を及ぼすことになるのか…、その結果としてそのような使い捨ての意識が受け継がれていくのかもしれません。

しかしながら一般的にはすべてにおいて良いもの(高額品が多い)を揃えることは難しいものですし、何か一品でも良いので本当に愛着の持てる家具がある環境をお勧めしたいものです。

このような観点より家具メーカーサイドとしては、どれも同じように見えるものを開発するのではなく、明らかに違うと感じさせる卓越したモノづくりを意識する必要があるのだろうとも考えています。

「明けましておめでとうございます」

例年同様の書き出しになるのですが、早いもので新年のご挨拶も今回で14回目となります。

これを機に過去13回分を一度に読み返すことも慣例化しており、不思議なことにその当時の気持ちは今でも比較的はっきりと思い出すことが出来ます。

そのようなところ首都圏一都三県には緊急事態宣言が再発令されることが決まっており、このような状況はまだしばらく続くとも思われますが、きっと何らかの教訓を与えるためのものだと考えるようにしています。

気が付けば日常生活も様変わりしており、外出時にはマスクを着用することは既にエチケットのひとつですし、玄関ドアには持ち物リストのひとつとして掲示されているご家庭も見られます。

財布や鍵と同列に扱われるくらい重要なものとして急浮上したわけですが、これが一般化することには少しばかり違和感を抱かざるを得ません。

新型コロナウイルスに限らず感染症対策としては効果的であることは実証されていますので、そのような考えのもと継続することは否定しません。

しかしながら人間の表情をつくり出す大事な口元を覆うことになるマスクは、コミュニケーションの点で少なからず障害になることも感じています。

やはり以前のような状態に少しでも早く戻ることに越したことはありませんし、そのためにも我々ひとりひとりが自覚を持って行動することが更に大事になるものと思われます。

まさかこれほどまでに長引くとは思っていませんでしたが、「だからダメ」ではなく「でも何とかする」との意識にて引き続き取り組みたいものです。

そして無事終息した際には、この経験がその後において何らかの糧となることを願っています。