「格好いいこと」

自身の場合、車のデザインマインドを参考にすることが少なくありません。

小さい頃のスーパーカーブームを経験しており、それゆえ多少なりとも車に興味を持つようになったことは間違いないようです。

その頃はとにかく「格好いい」との判断基準だったことは確かで、公道で見かけるようなスタイルとはまったく違う次元ゆえの憧れのまなざしを向けていたものです。

フォルムは一様に斬新に感じるものばかりで、その中でも各々が特徴を持っていることに面白みを感じていたものと思われます。

「〇〇が一番格好いい」とか「〇〇のフロントが格好いいね」とか「○○はリアが特徴的」とか、子供ながらにいろいろと言い合っていたものです。

ところが実際公道を走る多くの車はスーパーカーではなく、一般的なものになります。

もちろんとても高額になることが一番の理由でしょうが、走りを極める目的において一般的に車に求める機能性や快適さを求めることは出来ないものです。

公道で見かける車はいわゆるメーカー色を保ちつつも各々が特徴を持っているものの、少なくともスーパーカーのような緊張感を醸し出すような恰好良さはありません。

むしろそうなり過ぎない配慮がところどころに感じられるもので、そのあたりが大人のデザインを強く感じる部分です。

デザインにおいてはやり過ぎないことが大事になり、特に家具においては機能性を犠牲にすることは出来ないため、単に格好いいとの評価に終わらないことが何よりも大事になります。

理想形は「機能性も含めたデザインが恰好いい」なんだろうと考えています。

「寛ぎ」

ソファに腰掛けていて、気が付けばフロアの上に直接座り、ソファを背もたれ代わりに使用されるような光景は比較的多いものです。

当然のようにソファ上で長く過ごすことに何らかの不具合があるものと思われ、それは寛ぎを求める人間としての自然な行動なのでしょう。

一時的なことかもしれませんが、少なくともソファ上よりもフロア上の方が心地良いと言うことなのでしょうし、やはりソファとして如何なものかと思ってしまいます。

体格差もさることながら人それぞれの寛ぎのスタイルがあり、そのすべてを一台のソファで満足させることは難しいものの、やはり可能な限りの柔軟性を持たせる必要があるものと思われます。

しかしながら単に「大は小を兼ねる」ではなく、それには細かな設計が必要になり、基本的なことを言えばいろいろな意味を含めて座クッションと背クッションのバランスはとても重要になります。

背もたれの角度はもちろんのこととして、一見すると分かり難い座面に設けられた僅かな角度も含めて、一台のソファには専門的な要素がギュッと詰まっているものなのです。

反対に、どこか一点でも欠ける要素があれば真に寛ぐことが出来ないソファになってしまいますので、まさしく総合力がモノを言う家具の代表格と言っても過言ではないかもしれません。

一方では体格差もあり万人にマッチするものは存在しないとの意識のもと、悪い意味で言い訳が通用する家具とも言えるかもしれませんが、本当にいいものを作っているとの想いがあればそのような気持ちにもなりえません。

そして何よりも、手放しで思いっ切り身を預けるソファですので、究極の寛ぎを得るためには構造体がしっかりしていることによる安心感をなくしては成立しないものと考えます。

「使う価値」

特に一枚板の世界においては、ただただすごいと感じてしまうくらいにとても高額なものも少なくありません。

その本当の価値は価格と比例するのかもしれませんが、素人には一見すると高額に見えるものが思いのほかそうでもなかったりすることも稀ではありません。

一般的にはそのサイズや厚み及び割れや傷の有無はもちろんのこととして、木目の細かさだったり、杢の出方だったり、産地のブランド力だったりと、やはり一番の価値は希少性なのかもしれません。

素晴らしいものほど入手するために困難を極めることになるのでしょうし、その度合いが大きいほど、もしかすると看板板的な存在になったり所有欲みたいなものだったりが生まれてくるのかもしれません。

この点において絵画に似ている部分があるのかもしれませんし、既に価格の問題ではなくなるくらいの価値を生み出しているのでしょう。

もちろん高額なものがすべての人にとって最高の価値を生み出すとも限りませんし、価値とはその人それぞれが決めるものだとも思われます。

そのように考えると価値をひとつの物差しで測ることは難しいのかもしれませんが、モノの立場になって考えた場合、やはり使ってもらって初めて価値が生まれるものも少なくないようにも感じます。

長年倉庫で眠っていたものが製品化され、その本当の価値を認めた人によって実際使われることによりようやく日の目を見るとでも言うのでしょうか、そのようなジョイントがうまくいくことによりその周辺に喜びや幸せが生まれるのでしょう。

立派な素材は、それに見合った加工技術が注ぎ込まれ形になることが一番の幸せなのでしょうし、何よりも大事なことは、それを使用したいと思う人の手に渡り実用的な家具として実際使用されることにより本当の価値が生まれるものと考えています。

「躾」

ソファにおいては特に、「子供が小さいから」との理由により、たとえ汚されても諦めのつくような安価なもので済ませようとする意識が強いように感じます。

そのような意識面についても充分理解できることなのですが、と言うことは子供さんが小さいうちはたとえその気持ちがあったとしても良いソファを使用できないと言うことになります。

ソファとは元来家族皆で寛ぐための家具ですので、なんだかとても複雑な気持ちですし、あまりにもこの意識が強すぎると本末転倒になるような気もします。

これは私自身の体験に基づくものなのですが、自身がデザインしたソファはモニターの意味も含めて自宅で使用することも少なくなく、過去にはいろいろなタイプのソファを試してきました。

例えばウッドフレームタイプにおいては、デザイン性の観点からも極力エッジ部の面取りは小さくしがちです。

アーム部の足元部分が垂直に立ち上がっていたり、大きく外側に張り出していたりするようなデザイン性のものにおいては、家の中では常に裸足でいるような子供たちにとってはそれが凶器と化すこともあります。

それに足の小指を何度かぶつけた息子からは、痛みに耐えながら「このソファ捨てて」と言われたことでハッと気付かされることになりました。

別の事例としては、ホワイト系の生地で張られた綺麗なソファの上にアイスクリームのチョコレートを落とされたこともあり、その際にはさすがに血相を変えて揉み洗いをしたことも思い出します。

もちろん小さな子供のすることですので叱ることはなかったのですが、それ以降はソファの上で食べたり飲んだりすることはなくなりました。

親が大事にしているものは小さな子供であっても充分伝わることの証であり、これが躾に繋がるとなれば少なくとも親が大事に使いたくなるようなクオリティのソファを使用することが必要になるものと考えています。

「偏り」

なんだかスペシャルな言い回しには、耳を傾けたくなることは珍しいことではないようです。

例えば、有名な研究機関との共同開発から生まれた素材だとか、良く分からないけど難しい英文を並べられたりすると、「なんだかすごい」との感覚に陥ることは否定できません。

結果としてそれだけに意識が集中することになり、往々にして本質を見極めることの妨げになるようにも感じます。

家具においても例外ではなく、例えば一部の素材や加工機械だけが素晴らしくても良い家具が出来上がるとは限りません。

当然のこととしてそれに携わる人間の力や感性は欠かすことが出来ない要素で、製品が完成するまでの工程すべてにおいて手を抜くことなく高いレベルでの意識を注ぎ込むことが必要になります。

例えばソファにおいて、重要な素材であることは間違いないものの、ウレタンの密度だけが高くても良いソファが完成するとも限りません。

このことは、車のエンジンだけが素晴らしくてもシャーシの剛性感やタイヤの性能が劣っていたのでは安全で良い走りとはならないこととも共通します。

クッション性において重要な役割を担うことになる、表層部よりも下部にあるベースクッション材においても、その性能を100%発揮するためにも躯体の剛性感を軽視することは出来ません。

一番の問題点は、それらの構造は内部に隠れてしまうため目視にて確認することが出来ないことにあります。

従って、それら構造面の説明がしっかりされるものであることをひとつの選定基準とすることも必要でしょうし、それらが偏りのない筋の通った内容であるかについて慎重に判断されることをお勧めします。