「経年変化と劣化」

「経年変化と劣化」

現在自宅では自身がデザインしたウォルナット無垢材のTVボード及びダイニングテーブルを約6年間使用しています。

 

ダイニングテーブルにおいては毎日相当な時間使用することもあり、率直なところ天板面には相応に傷も目立ってきています。

 

傷付くのを避けるためにテーブルクロス等でカバーすることは折角の無垢材に対して如何なものか…とも感じてしまいますので、大切に使用する意識は常に持ちながらも機能性を充分満たすために、ある意味ガンガン使用しています。

 

無垢材の傷とはやはり打痕が多いもので、注意しているつもりですが何かとぶつけてしまうことは少なくないようです。

 

もちろん小さな凹みであれば自身で修理することも可能なのですが、それを行うことにより自身が神経質になってしまうことが容易に想像できるため、あえて行っていないとも言えます。

 

脚部においてもウォルナット無垢材仕様となりますので、同様に気を付けてはいるものの掃除機のヘッドやお掃除ロボットが軽くヒットすることによりやはり多少なりとも傷が目立ってきていますが、これも含めて経年劣化ではなく経年変化だろうと考えています。

 

仕事柄いろいろなお宅に訪問する機会に恵まれており、その際には設置されている家具やインテリア全般を目にすることになります。

 

皆さん相応にこだわりを持たれて構成されていることが感じられるのですが、それらを大切に使用されているのか否かについても同時に感じ取ることになります。

 

「大切に使用されていること」=「傷が見られない」との意味合いではなく、やはり相応に使用されている家具は相応な傷も見られるのですが、傷の種類が根本的に違うことが感じられるのです。

 

愛着を持って使用されているものの避けられない傷は見分けがつくもので、そのような傷にも愛着を持って長く使用することが出来る丈夫な家具の重要性を強く感じています。

「学び」

正直なところ、いわゆる学校の勉強は好きではありませんでした。

 

ゆえに定期的に行われる試験前になると気分も落ち込み、そのような感覚は今でも夢の中で味わうことも決して珍しくありません。

 

自分で言うのも変ですが、どれほどの勉強嫌いだったのか…と痛感することになります。

 

しかしながら、自身の意志を貫き進学することになった大学での勉強はまったく違ったもので、単位取得のための一般教養科目であっても少なくとも苦痛に感じることなく取り組むことが出来たものです。

 

自身で強く学びたいと思い通った大学ですので、すべてがとても新鮮で純粋に学びたいとの気持ちを4年間変わらずキープ出来た感覚です。

 

もちろん素晴らしい教授陣に恵まれたことも背景にあるものの、当時はその真の素晴らしさに気付くこともなく、若気の至りとは言え今思えばとても勿体ないことをしたものだと残念な気持ちにもなります。

 

もっともっと貪欲に学ぶべきでしたし、その時間はたっぷりあったことを思い出すとやはり勿体ないことをしてしまったとの後悔も少なからずあります。

 

一方では、学問や実技演習の場だけではない素晴らしい環境に身を置いていましたので、それだけで感性が磨かれた感覚もあります。

 

短期間でしたがイタリアへの留学も良い経験になりましたので、やはり人間は死ぬまで学び続ける必要があるように感じます。

 

もちろん形式的な学びの環境に身を置くことだけが学びの形態でもありませんので、日常的な仕事の場もそうだと考えるとあえて環境を変える必要もないのでしょう。

 

そして、おそらくですが学びの時期は遅いことはありませんので、常にそのような意識を保ち続けることが大切なのでしょう。

「デザインの区分」

先日は母校となる大学の「名誉教授を送る会」のご案内をいただいたこともあり出席にて事前エントリーを済ませていたものの、年度末最終日ともあり時間を設けることが出来ず断念することになりました。

 

自分の年齢を考えると無理もないのですが、当時お世話になった多くの教授は既にこの世を去ってしまっています。

 

同大学で知り合った妻との結婚式では仲人を務めていただいたことがご縁となり、その後も家族ぐるみでのお付き合いもさせていただいた教授もいらっしゃいました。

 

実際お会いする機会がなくなってからは年始のご挨拶だけになってしまったのですが、最近の数年間は年賀状を受け取ることもなくなっていました。

 

他の数名の教授とも同様なやり取りが何十年も続いていたもので、皆さまの画力の素晴らしさには毎年感動を覚えていたものです。

 

受け取ることがなくなった理由は前記の通りなのですが、奥様よりご丁寧なお手紙を頂戴するようなこともあり、つくづく立派な教授陣だったことを再確認することにもなります。

 

前置きが長くなってしまいましたが、それを機に久しぶりに出身学科や他学科のホームページをチェックすることになったもので、まさしく的確な表現となることや実際の教育方針と合致することを実感することになりました。

 

このことは学生時代には実感として捉えることが出来ず、何だかデザインを難しくしているようにも感じていたのですが、その意味合いがすんなりと心に落ちます。

 

その点において自身のデザイン観やデザイン手法の礎を築き上げるための貴重な時間だったと考えられます。

 

まさしく「デザインは分けられない」・「それを知ることから始まるデザイン」を身につけることになったことを再確認しているところです。

「比較検討」

家具選定においてはその機能性はもちろんのこと、デザイン性においても相応な比重があることは間違いありません。

 

これはデザインにおける基礎知識の有無とは関係ないもので、「何となく好き」とか「何となく惹かれる」とかの感覚を覚えてもらうことにその大きな意味があります。

 

つまりデザイン論だとかの難しい学問ではなく、実際にはそのような知識を有していない多くの一般の方々に訴えかける力が必要になります。

 

それゆえ、学問としてのデザイン知識や表現するための実技能力を有することが無くてもデザインを行うことに一切の問題はないだろうとの意識にて取り組む人たちも少なくないのかもしれません。

 

また実際のユーザーの感覚が必要との大義名分のもと安易に取り組まれる人も少なくないのでしょうが、率直なところこれもまた違うだろうと考えています。

 

もちろん実際のユーザーとなる方々の感覚は無視することは出来ず、そのことも可能な限り理解したうえでデザインに活かす意識面は外すことは出来ません。

 

一方では、今までは「ありそうでなかった」と感じられるような適度な斬新性も必要になると考えていますので、そうなるとやはりデザインに対する相応な知識がなければ難しいことも事実です。

 

このようなことは最先端を行くような業界では当たり前のこととも言えるのですが、残念ながら家具分野においてはその限りでもなく、結果として全体としてはまだまだ遅れているように思われているように感じます。

 

ここまではデザインに対する内容のウェイトが高くなってしまったのですが、家具においては機能性やその耐久性もとても大事な要素となりますので、それらを可能な限り比較のうえ体感することも大事になります。

 

その過程で気付くことになると思いますが、デザイン性とつくりの良さが相まって初めて真に良い家具となることは間違いありませんので、そのあたりの見る目を養う努力はあっても良いように感じています。

「直感力」

大型家具を購入するにあたり、それを出来るだけ長く使用する意識であれば事前にいろいろと調べられるものと思われます。

 

予備知識を身につけることは間違いのない家具選定にとっては重要なことだと思われますし決して否定するものではないのですが、最終選定においてそれら知識が意外と邪魔することも珍しくありません。

 

現物確認のためにも家具店やメーカーショールーム等にも足を運ぶことになるでしょうし、都度各所にていろいろな説明を受けることにより情報が錯綜する可能性もあります。

 

当然のように各所では都合の良い内容を伝えられることもあり、その点において可能な限り正確に各種情報を取捨選択する必要もあると思われます。

 

それゆえ事前にいろいろと調べることが重要になるのですが、その過程でも同様にフラットな視点にて絶対的な評価を見付ける必要がありそうです。

 

ソファにおいては大きさやスタイルと言った物理的な条件とは別にどのように寛ぎたいのか具体的にイメージする必要があり、またその機能性を充分有しているのか実際確かめる必要もあります。

 

その点において選択に至るまでの行程は短くないとも言えるもので、それゆえその過程では必然的に多くの情報も仕入れることになる点においても難しい家具と言えるかもしれません。

 

一般的に最後に選定されることが多い張地においても選択肢の幅が広いこともあり、またその表面積は予想以上に大きいことからも最終的にかなり迷うことが多いものです。

 

尚且つその価格幅が広いと更に迷うことにもなりますので、決断することは容易ではないかもしれません。

 

そのような場合は経験上第一印象を信じることにより正解となるケースが多いことも事実ですので、もしかすると直観力を磨くことが大事なのかもしれません。