2025/07/07 | Blog
30年以上前のことになりますが、都内勤務より一旦Uターンにてお世話になった会社時代には毎日欠かすことなく個人的な業務日誌を書いていました。
小さなキャンパスノートに手書きで記していたもので、日々の天気や気温も細かく記したうえで業務内容についても時間単位で記していました
それだけにお世話になった約7年間でたまったキャンパスノートはデスクの引き出し一杯分を埋め尽くすくらいになったもので、表紙のカラーもブルー→グリーン→ピンクの3色を順番に使用していたこともあり綺麗に色分けされたものです。
あくまでも個人的なものゆえ他人には一切見せる必要もないものなのですが、業務上関わる過去の内容を確認することによりそれまでの経緯も明らかになりますし、単に日々の業務内容を綴るだけではなく感情も書き入れていたこともありその点において業務日記と言えるものだったのかもしれません。
Uターン直後はインテリア全般の勉強のためにイタリア短期留学も経験しましたし、その際には日々映像としても記録すべく一眼レフカメラを持ち歩いていたものです。
当時はデジタル一眼ではなくフィルム時代ですので、日本から持ち込んだ大量のフィルムでも足りずミラノ市内で何度か買い足したことも思い出されます。
すべての現像は帰国後に行ったもので、日時は画像内に記録されるように設定していたもののそれだけでは情報量として満足できるものではないだろうと考え、日々の日記をつけ出したことがきっかけとも思われます。
感情についても細かく記していたと記憶しており、日々刺激的なことの連続だったこともあり自然と書き留めることになったものです。
週末はフリータイムでしたので、各種伝手を辿りミラノ郊外に住まわれる有名デザイナーの豪邸だけではなく集合住宅に住まわれる方々の実際の暮らしぶりについても見学させていただくことになりました。
すべてにおいてお洒落だと感じましたし、それが普通に根付いていることも素晴らしいと感じた当時の感情も改めて読み返すことは感慨深いものがあります。
2025/06/27 | Blog
先日は久しぶりに地元石川県に一時帰省する機会があったのですが、先ずは空き家となっている自宅敷地内の草刈り作業から始まります。
石川県と言えば金沢をイメージされる方が多いとも思われ、石川よりも金沢の方が有名と言っても過言ではないでしょう。
当方の自宅はそのくらい有名な金沢市内より遠く離れたスキー場の麓となる山間に位置しており、それゆえ冬場はスキー板を履いて通学していたことも思い出されます。
そのような環境ともあり冬場の体育の授業ではスキー実習もありましたし、ジュニアチームが存在したこともあり小学校低学年の頃より自然とアルペンスキー競技にも一生懸命でした。
話は逸れましたが、このような自然豊富な環境で育ちましたので、また父親が林業関係の仕事に従事していたこともあり小さな頃より山の中での仕事の手伝いをさせられたことも記憶に新しいものです。
植樹から大きく育つまでは草刈りも頻繁に行っていましたし、杉の木の枝打ちや雪の重みで倒れた木を真っすぐに起こす作業もいつものことでした。
このように多少なりとも山仕事の手伝いをしていたこともあり、実家の近くに自宅を新築した際にはお祝いとして各種広葉樹の苗木をプレゼントされ、それらを自らの手で敷地内に植えたものです。
しかしながら充分な備えが出来なかったことにより雪害により多くの枝が折れてしまったことを機に急に元気がなくなり、先日はそのうちの一本が手で簡単に折れてしまいました。
ほぼ空き家状態となってしまったことによる自らの責任なのですが、亡き父親からのプレゼント樹木が折れてしまったことは相応にショックだったものです。
そして木も生き物だと言うことを痛感することになったもので、世話を怠った栗の木も絶えてしまったことからも生半可な気持ちでは植える資格もないのだろうと反省することになったと同時に、木の家具の素晴らしさも実感することになりました。
2025/06/07 | Blog
自身が小さな頃には、身の回りのいろいろな物を用いていろいろと工作をしていました。
それがとにかく楽しくて…それを始めるために宿題を早めに済ませていたと言っても過言ではないくらいで、少なくともそのことにより嫌なことは早めに終わらす習慣付けが出来たようです。
あとのことを考える必要がないフリーな状態にしたうえで好きなことに取り組むことにより何よりも作業に集中できますし、このような意識は今も変わることはありません。
自身の性格上、集中と言うよりも完全に没頭状態となりますので、自分で言うのもおこがましいのですが職人気質だとも感じています。
聞こえが良いように言い換えていますが、小学低学年より始めた各種工作は図画工作の授業でも良い意味でも悪い意味でも活かされており、先生からは「この子の作品は変わっている…」といつも言われていました。
当時母親も同じ小学校に勤務していたこともあり、帰宅すると「また〇〇先生があのように言っていた」と聞かされたことを今でも鮮明に思い出されます。
つまり自他共に認める「変わった人」だったことからも、当時の図画工作の先生からは将来は○○になるべく有名な人間国宝の先生に弟子入りしたらどうですか?との具体的な紹介もあったくらいで、さすがにそれには母親が丁重にお断りしたことを大人になってから初めて聞かされたこともあります。
当方は石川県で生まれ育ちましたので、特に工芸の分野では環境的にも各種選択肢があったことも事実ですが、そちらに興味を抱くことはなく中学生時代の技術の授業で製作した折り畳み椅子に強く心を惹かれたことが今に繋がっています。
このように考えると人が進む道はどのように転ぶか分かりませんが、「好きこそものの上手なれ」はいろいろと体感してきたことからも、何でも良いので得意分野を極める意識は必要かもしれません。
2025/05/27 | Blog
ソファのレイアウト方法として、大きく分けると壁面を背負わすように設置する方法とお部屋の中心部に設置する方法の2通りがあるものと思われます。
特徴として、前者の場合はお部屋全体が広く感じられるのですが、ソファにおいてはテレビと対面させるレイアウトが一般的となることからも、適正な視聴距離や間取りの関係上どちらかと言えば少数派のように感じられます。
それに対して比較的多いものとして、ダイニングセット→ソファ→テレビのように、縦長のリビングダイニングには定番ともいえるレイアウトがあります。
その場合ダイニングチェアに腰掛けた状態ではソファ越しにテレビを観ることになることからも、ソファの全体高を極力抑えたいとの意識になることが一般的です。
ダイニングチェア→ソファ→テレビの各々の間隔によりその高さ関係も違ってくるのですが、このようなレイアウトにおいては心配される方が少なくないことが現実のようです。
ソファの全体高はソファの座り心地にも影響するもので、圧迫感との観点からはロータイプの方がすっきりとした印象になりやすいものの、肝心な座り心地とは反比例するものと考えています。
つまり、全体高が必然的に高くなるハイバックタイプにおいては首筋まで支えられることもあり一般的には座り心地は良いと評価されるものです。
もっとも、首筋まで支えられることだけがソファにおける機能でもないため、個人的にはむしろ否定的な考え方となるのですが、最低限肩甲骨まで支えることが可能な高さは必要だろうと考えています。
要するに座面高と背もたれ高の関係性においてはある程度の差尺が必要になると言うことで、その場合は座面高(SH)を低くすることにより充分対応可能なものの、SHを下げることにより座面の奥行きが通常以上に必要になりますので、ソファの奥行き自体に影響を及ぼします。
このように、座り心地については各種寸法が影響しますので、やはり知識豊富なスタッフが在籍する専門店に相談されることがお勧めです。
2025/05/17 | Blog
40年程度前のこととなる学生時代においては、自動車電話が普及し始めた記憶はあるものの一般社会に携帯電話は普及していませんでした。
それゆえ、当時みんなで突然集まるようなことになった場合の連絡手段はどのように行っていたのか今考えても不思議なものです。
当時はサラリーマンが持ち歩くイメージが強かったポケベルを持ち歩いていた友人も一部居たものの、それもみんなが持ち歩くほど普及していたものでもないため、また住んでいるエリアは広範囲に及んでいたこともあり今でも七不思議のひとつとなります。
当然のように当時は各家庭に固定電話は普及していましたが、当方のように地方から大学のために上京してきた学生は少なくなく、そのような場合は節約のためにも固定電話を契約することは少なかった印象です。
それゆえ固定電話への連絡では親御さん経由となることが少なくないことからも、それは最終手段だったようにも感じられます。
今では携帯電話やスマホは必需品中の必需品になっており、それを持ち忘れた際には仮に短時間だとしてもとても不安な時間を過ごすことになります。
そこから得る情報は莫大なもので、常に何らかの連絡が入ることからも臨戦態勢を維持し続けなければいけないような感覚に陥ります。
その画面の大きさからも何かと便利なタブレット端末も常に持ち歩いており、数分置きのメールチェックも習慣付いていることからも常にピリピリした状態と言っても過言ではありません。
曜日や時刻に関係なく対応可能ともありこのことはとても便利なこととも言えますが、精神面を考えると如何なものか…とも感じてしまう瞬間も増えています。
このように、便利な必需品が増えることにより仕事面の質は向上するのかもしれませんが、生身の状態でのセンサーを大事にして生きることも心掛けなければいけないのかもしれないとも思っています。