自身が小さな頃には、身の回りのいろいろな物を用いていろいろと工作をしていました。
それがとにかく楽しくて…それを始めるために宿題を早めに済ませていたと言っても過言ではないくらいで、少なくともそのことにより嫌なことは早めに終わらす習慣付けが出来たようです。
あとのことを考える必要がないフリーな状態にしたうえで好きなことに取り組むことにより何よりも作業に集中できますし、このような意識は今も変わることはありません。
自身の性格上、集中と言うよりも完全に没頭状態となりますので、自分で言うのもおこがましいのですが職人気質だとも感じています。
聞こえが良いように言い換えていますが、小学低学年より始めた各種工作は図画工作の授業でも良い意味でも悪い意味でも活かされており、先生からは「この子の作品は変わっている…」といつも言われていました。
当時母親も同じ小学校に勤務していたこともあり、帰宅すると「また〇〇先生があのように言っていた」と聞かされたことを今でも鮮明に思い出されます。
つまり自他共に認める「変わった人」だったことからも、当時の図画工作の先生からは将来は○○になるべく有名な人間国宝の先生に弟子入りしたらどうですか?との具体的な紹介もあったくらいで、さすがにそれには母親が丁重にお断りしたことを大人になってから初めて聞かされたこともあります。
当方は石川県で生まれ育ちましたので、特に工芸の分野では環境的にも各種選択肢があったことも事実ですが、そちらに興味を抱くことはなく中学生時代の技術の授業で製作した折り畳み椅子に強く心を惹かれたことが今に繋がっています。
このように考えると人が進む道はどのように転ぶか分かりませんが、「好きこそものの上手なれ」はいろいろと体感してきたことからも、何でも良いので得意分野を極める意識は必要かもしれません。