「オットマン」

「オットマン」

椅子やソファの前に置いて使用する足載せ台のことを指すのですが、単体ではスツールにもなりますのであると便利なものだと思われます。

 

大きさや形状もいろいろあり、汎用性に優れたタイプのものを選定されることによりいろいろなシーンで活躍してくれるのでしょう。

 

小さなものですと邪魔になることもないでしょうし、比較的持ち運びも容易なことからも複数台準備しても良いのかもしれません。

 

一般的なイメージはこのような感じかもしれませんが、一人ではとても移動できないような大きなサイズのものもあります。

 

その大きさからもベンチのようにも使用できますし、一度に複数人が腰掛けることも可能ですので来客が多い際は特に重宝するかもしれません。

 

また、いわゆるI型ソファの前に大きなオットマンをくっ付けて設置することによりカウチソファのような機能性も有することになります。

 

一般的にL型に組み上げるカウチソファの場合は左右の向きを決める必要があるのですが、I型+大きなオットマンにおいては状況に応じて左右の組み換えも可能になります。

 

そのように考えると断然I型+大きなオットマンの方が使い勝手が良さそうに感じるのですが、率直なところカウチソファと比較すると似て非なるものと言っても過言ではないと考えています。

 

何よりもカウチソファの場合は座面が区切られることなく大きな一枚仕様になりますので、たとえ座面の総面積が同じであっても寛ぎ指数はまったく違うものです。

 

物理的に分かれていることによる部位によるクッション性の違いはもちろんのこととして、それ以上に座面上に区切りがあることは心理的にかなりの制約が生じることになりますので、その点は充分理解されたうえで判断されることをお勧めします。

「注意力」

最近気になることとして、ベビーカーに子供さんを乗せた状態でスマホに夢中のお母さまたちの存在があります。

 

立ち止まった状態だけではなくベビーカーを押しながら夢中でスマホを操作する姿を目にするたびにハラハラしてしまいます。

 

電車のホームだったり横断歩道の手前だったりと、それこそ危険だと感じられる場所においてもお構いなしのように感じられます。

 

安全ベルトをしているから大丈夫との意識面かもしれませんが、必ずしも赤ちゃんではなく小さな子供さんの場合も少なくないため、想像だにしないことをしてしまう可能性も考えられます。

 

進行方向を向けた状態となるとその様子を逐次確認することも出来ず、ぐずる声や手足をばたつかせている状態を感じ取りながら安全を確認しているのでしょうか。

 

個人的には車の運転中に匹敵するくらいに危険な行為だと感じているのですが、事故が起こってからでは遅すぎます。

 

スマホ一台にていろいろな情報をリアルタイムに入手することが出来、また常に連絡を取り合うことが出来る環境をごく普通に手に入れることが出来ることは素晴らしいことです。

 

自身においても既にそれがない環境は考えられない状態ですが、おそらくそれにより何かが犠牲になっているような気がしてなりません。

 

既にそれが存在していなかった時代に逆戻りすることは出来ませんが、その時代のことを少しでも思い出す機会があっても間違いではないのだろうと思っています。

 

不思議に感じるくらいに遠い昔のことになってしまうことからも当時の感覚を思い出すことは難しいものの、例えばその便利なツールが存在しなかったとしたら各局面でどのように対処することが望ましいのか考える注意力は損なうことがないようにしたいと考えています。

「注意力」

最近気になることとして、ベビーカーに子供さんを乗せた状態でスマホに夢中のお母さまたちの存在があります。

 

立ち止まった状態だけではなくベビーカーを押しながら夢中でスマホを操作する姿を目にするたびにハラハラしてしまいます。

 

電車のホームだったり横断歩道の手前だったりと、それこそ危険だと感じられる場所においてもお構いなしのように感じられます。

 

安全ベルトをしているから大丈夫との意識面かもしれませんが、必ずしも赤ちゃんではなく小さな子供さんの場合も少なくないため、想像だにしないことをしてしまう可能性も考えられます。

 

進行方向を向けた状態となるとその様子を逐次確認することも出来ず、ぐずる声や手足をばたつかせている状態を感じ取りながら安全を確認しているのでしょうか。

 

個人的には車の運転中に匹敵するくらいに危険な行為だと感じているのですが、事故が起こってからでは遅すぎます。

 

スマホ一台にていろいろな情報をリアルタイムに入手することが出来、また常に連絡を取り合うことが出来る環境をごく普通に手に入れることが出来ることは素晴らしいことです。

 

自身においても既にそれがない環境は考えられない状態ですが、おそらくそれにより何かが犠牲になっているような気がしてなりません。

 

既にそれが存在していなかった時代に逆戻りすることは出来ませんが、その時代のことを少しでも思い出す機会があっても間違いではないのだろうと思っています。

 

不思議に感じるくらいに遠い昔のことになってしまうことからも当時の感覚を思い出すことは難しいものの、例えばその便利なツールが存在しなかったとしたら各局面でどのように対処することが望ましいのか考える注意力は損なうことがないようにしたいと考えています。

「エコの原点」

「良いものを長く…」とはフォルクスワーゲンのCMにて印象に残っています。

 

新車販売を意図するCMにおいてそのキャッチフレーズは如何なものか…との反論が少ないことも承知していますが、「良い車ゆえこれに乗り換えて長く乗り続けましょう」との一定の趣旨は理解出来ますし、純粋に言葉の意味として捉えれば間違いではないだろうと考えています。

 

現実的に自動車は典型的な消耗品だとも思われますが、年代物のいわゆる旧車を大事に乗り続けている人も決して珍しくありません。

 

そのような方々においては、新車購入を促すべくCMのキャッチフレーズとしては不適切だとの気持ちになることも分からないものでもありません。

 

旧車ゆえ少しばかり燃費が悪くても、また排気ガスが少々汚くても、新車に乗り換えるよりもエコだとの意識面だと思われます。

 

一方では、新車登録から13年や18年が経過することにより自動車税や重量税が高くなりますので、その点において乗り換えを促していることも事実なのでしょう。

 

何よりも自動車の場合は保安部品等の劣化により重大な事故に繋がる可能性もあり、自分自身だけではなく他人にまで危害を及ぼす可能性があることからも、自動車の構造にかなり詳しく自身で常日頃メンテナンスを行うことが出来る人でなければ危険性も増してくるものと思われます。

 

その点において「良いものを長く…」がエコの原点だと言える典型的な存在として家具があると考えています。

 

当然のように良いものでなければ安心してまた愛着を持って長く使い続けることは出来ませんので、このことはすんなりと理解出来るだろうと思われます。

 

地球上の貴重な資源を用いて製作するのですから、しっかりと壊れないように作ることが大事ですし、消耗品ではなく一生ものとして大切に使い続けることが出来る家具の重要性について広く認識してもらえるように今後とも活動していければと考えています。

「書き留めること」

30年以上前のことになりますが、都内勤務より一旦Uターンにてお世話になった会社時代には毎日欠かすことなく個人的な業務日誌を書いていました。

小さなキャンパスノートに手書きで記していたもので、日々の天気や気温も細かく記したうえで業務内容についても時間単位で記していました

それだけにお世話になった約7年間でたまったキャンパスノートはデスクの引き出し一杯分を埋め尽くすくらいになったもので、表紙のカラーもブルー→グリーン→ピンクの3色を順番に使用していたこともあり綺麗に色分けされたものです。

あくまでも個人的なものゆえ他人には一切見せる必要もないものなのですが、業務上関わる過去の内容を確認することによりそれまでの経緯も明らかになりますし、単に日々の業務内容を綴るだけではなく感情も書き入れていたこともありその点において業務日記と言えるものだったのかもしれません。

Uターン直後はインテリア全般の勉強のためにイタリア短期留学も経験しましたし、その際には日々映像としても記録すべく一眼レフカメラを持ち歩いていたものです。

当時はデジタル一眼ではなくフィルム時代ですので、日本から持ち込んだ大量のフィルムでも足りずミラノ市内で何度か買い足したことも思い出されます。

すべての現像は帰国後に行ったもので、日時は画像内に記録されるように設定していたもののそれだけでは情報量として満足できるものではないだろうと考え、日々の日記をつけ出したことがきっかけとも思われます。

感情についても細かく記していたと記憶しており、日々刺激的なことの連続だったこともあり自然と書き留めることになったものです。

週末はフリータイムでしたので、各種伝手を辿りミラノ郊外に住まわれる有名デザイナーの豪邸だけではなく集合住宅に住まわれる方々の実際の暮らしぶりについても見学させていただくことになりました。

すべてにおいてお洒落だと感じましたし、それが普通に根付いていることも素晴らしいと感じた当時の感情も改めて読み返すことは感慨深いものがあります。