「学び続けること」

「学び続けること」

過去にも記したことがあるとも思われますが、私がこの世界に飛び込む意識を決定付けた存在にリートフェルトのレッド&ブルーチェアがあります。

 

美大在学中ともあり何かと多感な時期でもありましたが、多くの出会いの中でも最も衝撃的なものだったことを今でも思い出されます。

 

母校の武蔵野美術大学は豊富な近代椅子コレクションに置いてかなり有名で、名作椅子と言われる数多くの製品に実際触れられる恵まれた環境でした。

 

自身にとってはプロダクトデザインを学ぶ上での最大の教材でしたし、椅子自体に興味を持ちだした中学生時代までさかのぼれば自身に最もマッチした環境で学ぶことが出来たと考えています。

 

その構造からも小さな建築物とも言われますので、基本的な構造も自然と学ぶことが出来ましたし、新卒時は大手総合家具メーカーのデザイン部に就職出来たものの、多くの名作椅子は建築家により生み出された背景があることからも先ずは建築設計事務所にて勉強することを選択しました。

 

家具が設置される器となる空間より勉強することは自身にとっても意味があることでしたし、また在日米軍施設内設計を行う特殊な設計事務所ともあり幅広い建築物に携わることが出来たことも良かったものです。

 

新築物件ばかりではなく当然のようにリペア物件もありますので、全国の在日米軍基地に出向きインスペクションを行ったことも自然と建築構造を学ぶことにも繋がりました。

 

ご縁があり学生時代よりアルバイトとして勉強しており、その当時の図面は平行定規を用いた手描きだったものの、基本的にアメリカの仕事ともありAUTO CADを導入も比較的早かったものです。

 

皮肉なことに軍事目的となる技術が最先端とも言われている時代でしたので、その点において最先端技術の中で勤めながら学ぶことが出来たとも言えます。

 

このような経緯を経て今現在があると考えると感慨深いものがありますし、一生を終えるまで勉強との意識を改めて確認しているところです。

購入のタイミング

空間のお洒落感を演出する目的も少なからずありますが、一般的に家具においては必要に迫られ購入に至るケースが多いものと思われます。

単なる買い替えも立派な理由となり、いずれにしても必要な機能性として他には代用できないものなのでしょう。

長年使用することにより満足できる機能性が失われることもあるでしょうし、やはり家の道具ですので出発点はここにあるものとも思われます。

例えばベッドにおいては、単に眠ることの機能性に絞り込めば床面に布団でも問題ないかもしれませんし、それが日本の文化だと言われれば否定することもありません。

しかしながら歳を重ねるごとに床面での布団は辛く感じられることも良く耳にすることですし、私自身布団で熟睡することは現実的に難しくなっています。

身体的に立ち上がり難いとかの困難はないものの、底突き感が一切ない快適なマットレスのクッション性は畳に布団では得られることが出来ないものです。

また、呼吸する顔の位置として、床面に近い布団ではなくベッド上の高さになることにより劇的に空気が綺麗になることも聞いたことがあります。

更には、これは付帯的な一部機能に過ぎませんが、ベッドマットレス上に腰掛けることも程よい高さとなることからも背もたれはなくても不思議と心地良いものです。

以上は一部を除き主観的なものなのですが、一度その快適性を覚えてしまうとそれがない生活は難しいことが現実だと思われます。

このことはソファにおいても同様だと思われ、一度でも良いので真に心地良いソファを相応な時間いろいろな姿勢で試されることがお勧めです。

それにより劇的に身体が楽になることを実感できますし、自分自身の健康管理面においても体に直接触れる家具は特に意識した方が良いだろうと考えます。

「購入のタイミング」

空間のお洒落感を演出する目的も少なからずありますが、一般的に家具においては必要に迫られ購入に至るケースが多いものと思われます。

 

単なる買い替えも立派な理由となり、いずれにしても必要な機能性として他には代用できないものなのでしょう。

 

長年使用することにより満足できる機能性が失われることもあるでしょうし、やはり家の道具ですので出発点はここにあるものとも思われます。

 

例えばベッドにおいては、単に眠ることの機能性に絞り込めば床面に布団でも問題ないかもしれませんし、それが日本の文化だと言われれば否定することもありません。

 

しかしながら歳を重ねるごとに床面での布団は辛く感じられることも良く耳にすることですし、私自身布団で熟睡することは現実的に難しくなっています。

 

身体的に立ち上がり難いとかの困難はないものの、底突き感が一切ない快適なマットレスのクッション性は畳に布団では得られることが出来ないものです。

 

また、呼吸する顔の位置として、床面に近い布団ではなくベッド上の高さになることにより劇的に空気が綺麗になることも聞いたことがあります。

 

更には、これは付帯的な一部機能に過ぎませんが、ベッドマットレス上に腰掛けることも程よい高さとなることからも背もたれはなくても不思議と心地良いものです。

 

以上は一部を除き主観的なものなのですが、一度その快適性を覚えてしまうとそれがない生活は難しいことが現実だと思われます。

 

このことはソファにおいても同様だと思われ、一度でも良いので真に心地良いソファを相応な時間いろいろな姿勢で試されることがお勧めです。

 

それにより劇的に身体が楽になることを実感できますし、自分自身の健康管理面においても体に直接触れる家具は特に意識した方が良いだろうと考えます。

「体格差」

腰掛ける椅子やソファにおいては、当然のこととして体格差によりベストなサイズや仕様が違ってきます。

 

しかしながら、一部オフィスチェアを除き一般的な仕様において都度細かく調整できるようなものは少ない現実がありますし、ここでは家庭用製品に視点を向けたいと思います。

 

エクステンションテーブル等、家具においては可変タイプのものも少なからず見られますが、都度それを行うことは予想以上に面倒なことだと思われ、結果としてほぼ同じ形状にて使用しているとの声を良く耳にするものです。

 

ソファにおいては、背もたれ部が可動式になっているものや単に設置式になっているものも見られ、それにより座面の深さを調整したり腰掛ける向きを調整したりすることが可能になります。

 

それにより少なからず体格差もカバーすることが可能になるかもしれませんし、フレキシブルに使用可能とのイメージを持たれると思われます。

 

いろいろな体格の人にマッチするとの趣旨においてそのような仕様のソファを否定するものではありませんが、何だか座る人任せのような気がして率直なところ釈然としないものがあります。

 

また、フレキシブルに対応可能と言うことは最大公約数的な機能を有していると言うことでしょうし、裏返せばすべてにおいてベストマッチとは言えないものとも感じてしまいます。

 

このことは開発サイドの視点の違いゆえ否定することも出来なければ、そのような製品が必要とされていることも否定することは出来ません。

 

結果として同様なコンセプトとなる数多くの製品が生まれてくることも事実ですし、既にソファのひとつの形状として定着しつつあるようにも感じられます。

 

それだけに、デザイン性はもちろんのこととして腰掛ける人に合わせてもらうのではなく「これでどうだ」と言わんばかりの製品を作り続ける必要もあるのだろうと考えているところです。

「製品寿命」

日本の伝統的な家具として和家具があり、それらは日本の木材や和紙等が用いられとても丈夫に作られていた印象があります。

 

当然西洋の家具が浸透する前より存在していますので、日本の住環境にマッチしたものとして生まれてきた背景からも生活に根差していたことは間違いありません。

 

和茶棚と呼ばれるものは実家にもありましたし、20~30年前までは良い家具を扱う家具店にて扱われていたことも思い出されます。

 

譲り受けた欅の一枚板で作られた卓袱台はそれ以外の用途として今でも大切に使っていますし、壊れるような気配も感じられません。

 

一般的なアンティーク家具の定義は製作から100年以上経過していることにあるようで、丈夫に作られているものでなければそれだけの期間残ることはありませんし生活に根差すこともないでしょう。

 

このようにアンティーク家具が多い印象の西洋家具に限らず、和家具においても製品寿命はとても長いものが多かったものと思われます。

 

しかしながらソファにおいては不思議とその限りではないもので、このことは日本における歴史が浅いことだけが理由とは考えにくいものです。

 

体重を直に支える座面がへたりやすい製品が多かったことからも典型的な消耗品としての位置付けになったものと思われ、一般的には高額製品に分類される一部海外有名ブランドソファであっても生産国は違うこともあり製品寿命は7~8年となるものも決して珍しくないようです。

 

当方は自身がデザインした家具としてTVボードやダイニングテーブル以外にソファも長く使用していますが、僅か7~8年でへたってしまうこと自体不思議に感じてしまいます。

 

前記の卓袱台と同じようにその程度の使用期間ではへたる気配すら感じられませんし、このような感覚が当たり前に浸透するように引き続き携わっていきたいと考えています。